第7話「クセが強い家族・前編」
7月に入った。
塾の前の1時間と、水曜日の自習授業。その時間を全力で大切にしながら話し尽くした僕とあきちゃんは、今までの人生で会った誰よりもお互いのことをよく知っていた。何でも話せるほど仲良くなっていた。
塾の日にしか会っていないのに、一緒にいる時間の密度が濃すぎて、どんどん親密になっていった。
そしてついに、あきちゃんから塾の日以外に会うお誘いをしてもらえた。
「夏休みになったら、塾が休みの日にウチに遊びにおいでよ!」
なんと、自宅に招かれたのだ。
小学4年生の僕には、女の子の家に遊びに行くというビッグイベントを人生で経験したことがない。恥ずかしくて緊張してしまい、返答の言葉がすぐに出てこなかった。
「……イヤなの?」
いつもよりワントーン低い声で、あきちゃんは僕の様子を伺う。
ヤバイ。少し怒ってる気がする……。
「絶対に行く!!」
あきちゃんの前では、素直にならないといけないと思った。
あきちゃんの家は、お父さんが出張でほとんど家にいないらしい。話が全然出てこなくて、お父さんのことはよく分からないが、お母さんも妹も音楽が大好きらしい。
普段3人で大きな音で音楽をたくさん聴いているらしく、音響にも少しこだわっているみたいなので、すごく音質の良い迫力のある音楽が聴けるらしいのだ。
僕は家にあるショボいプレイヤーか、あきちゃんが持ってくるポータブルのプレイヤーでしか聴いたことがない。期待が高まる。
そして、期待よりも数倍、緊張が高まっている。
もうお察しだとは思うが、この頃にはすでに僕はあきちゃんのことが大好きだった。
毎日あきちゃんのことばかり考えるようになり、服装や髪型などの見た目にもこだわるようになっていった。会えない日は、会える時間に話す内容をたくさん考える。せっかく会える時間を有効に使えるように、話のネタをあらかじめ考えておくのだ。
小学4年生の僕は、まだ恋愛の経験がない。こんな感情になったことも、今まで一度もない。経験がないので、ハッキリとそうなのだと確信は持てないが——僕は、これはあきちゃんに対する恋心なんだと思うようになっていた。
好きな人の家に遊びに行くのは、とにかく緊張する。
あきちゃんは、僕のことをどう想っているのだろう?
家に誘うということは、嫌いではないことだけは分かる。ただ「音楽」という趣味が合うだけの友達なのだろうか? それとも、同じような特別な「好き」を想ってくれているのだろうか?
小学生の僕に、相手の恋心を察する能力はまだ育っていない。考えれば考えるほど、あきちゃんのことが頭から離れなくなる。一度「好きなんだ」と認識してしまうと、どんどん好きが大きくなっていってしまう。
当然、告白する勇気なんて僕には一切ない。
そもそも、告白してその後いったいどうなるのだ?
「彼氏」や「彼女」といった言葉は知っているが、何をするものなのか、どんな関係になるのかなど全く分からないのだ。学業や雑学などの知識はどんどん膨らんでいき賢くなっていくのだが、分からないことだらけで、まだまだ子供の自分を感じてしまう。
あきちゃんの特別な存在になりたい気持ちだけは、しっかりある。でも、何がどうなれば「特別」なのかがよく分からない。
家に行けば、少しは変わるのかな? 発展するのだろうか? 僕だけが持つ、あきちゃんの「特別」を手に入れることができるのだろうか?
会えない日は、悶々とそんなことを考えながら日々は過ぎていく。
あきちゃんは、僕が家に遊びに行くことをどう思っているのだろうか? 今までと何も態度や素振りは変わらないのだ。やっぱり、僕だけがこんなにも「好き」なのだろうか?
よく聴く曲の歌詞に、「惚れたら負け」と出てくる。僕は、その言葉がこれなのだと感じ、ものすごく「負け」を実感している。
不思議と、「この負け」については悔しくはない。負けず嫌いなのだが、なぜかあきちゃんには勝てないことを許容してしまう。
こんな自分の気持ちが言葉にならず、悶々としながら過ごさないといけないのは、僕がまだ子供で人生の経験が浅いからなんだと自分に言い聞かせる。
この先、この気持ちはどうなっていくのだろうか? 初恋を経験して、恋愛を学び、自分が少しずつ成長していくのを感じる。
夏休みが近くなるにつれて、ハッキリとした日時の約束もした。
夏休みに入る7月21日が金曜日なので、その次の日曜日——7月23日の朝10時に、あきちゃんの家の最寄り駅の改札口前で待ち合わせることになった。
そして、待ちに待った夏休みが始まった。
この年は、人生で一番夏休みを楽しみに待ち焦がれたであろう。
夏休み初日は塾だ。あきちゃんの家に行く2日後の話で盛り上がる。
次の日の土曜日は、落ち着かなくてソワソワした1日だった。どんな服装で行くのか。初めて会うあきちゃんのお母さんと妹はどんな人だろうか? そんなことばかり考えて、あっという間に1日が過ぎた。
あきちゃんの家へは、僕の家から徒歩5分の駅に行き、電車に乗って20分。つまり、家を出てから30分くらいで辿り着く。
10時に待ち合わせなのに、緊張で朝6時に目覚めてしまった。準備も万端だ。時間がかなり余っているが、やることはない。
緊張して落ち着かない様子を親に悟られるのが嫌で、8時に家を出てしまう。駅前で時間を潰そうと考えていたが、朝早い時間なのでどこの店も開いていなかった。
仕方なく電車に乗り、あきちゃんの家の最寄りの駅に向かう。
当然のことながら、8時30分頃には着いてしまった。
景色はとにかく田舎。駅の中から見渡しても、建物は住宅しか見えない。時間を潰せそうな場所や店はないだろうなと諦め、改札を出ると——
目の前に、あきちゃんがいた。
「えっ? めちゃくちゃ早くない? 笑」
改札を出て最初に言われた一言だった。
「あきちゃんも早くない?」
僕は少し抵抗してみたんだけど、あきちゃんは僕を早くから迎えに来ていたわけではなく、改札口の前にあるコンビニへ買い物に来ただけだった。
たまたま、奇跡的に、僕が早く着いてしまって改札口から出てきたタイミングと重なっただけ。あきちゃんはびっくりしていた。
すげぇ恥ずかしい。
改札の向かいのコンビニに一緒に行くことになり、店に入る。
「あら、あきちゃん。今日は朝早いんだね。彼氏かい?」
コンビニのおばちゃんが話しかけてくる。田舎町あるあるだ。みんな知り合いムード。
すげぇ恥ずかしい。
「塾で一緒の”なおちゃん”だよ。今日はあきの家に遊びに来るの」
あきちゃんは、僕をおばちゃんに紹介した。
「あらあら、まだ小学生なのに仲がいいんだね。あきちゃんも成長したんだねぇ」
おばちゃんは感慨深い感じだが、嬉しそうに続けて話した。
「おばちゃんがお菓子を買ってあげるから、仲良く食べるんだよ」
飲み物を買ったあきちゃんのレジ袋に、ポテトチップスを入れてくれる。
「ありがとー! また来るねっ」
コンビニを出るあきちゃんに続き、僕は軽く会釈をして店を出た。

笑顔で手を振っているおばちゃんは、僕とあきちゃんの関係をどう思ったのだろう?
「あきちゃん! さっきのおばちゃんが最初に言った”彼氏かい?”を否定しないから、おばちゃんは僕のことを彼氏って思っちゃってるみたいだよ」
(嬉しいんだけどね)
あきちゃんはニヤリと、いつものように笑いながら答える。
「一般的なおばちゃんって生き物はさ、そういうのを想像してワクワクするのが好きだから、いいんじゃない?」
あきちゃんがそれでいいなら問題ないが、すげぇ恥ずかしい。
「次に来た時とかも、おばちゃんお菓子くれるかもよ? ラッキーじゃん♪」
さりげなく、今後も家に誘ってくれるということを伝えてくれたあきちゃんに、僕は心臓を撃ち抜かれた。
そんなことを話しながら歩いているうちに、すぐにあきちゃんの家に到着した。
駅の中から見えていた大きなマンションで、歩いて5分もないくらいだった。こんなに近くの家なんだったら、そりゃコンビニのおばちゃんも仲良しか。
コンビニは家業でやっているような小さな規模のものだった。いつ行っても、あのおばちゃんがいるのであろう。この駅の利用者の大半は、あのおばちゃんの下世話な想像の餌食なのだろうか?
ひとまず、駅前には時間を潰せる場所が全くなかったので、あきちゃんと奇跡の遭遇ができたことを幸運に思った。
10時待ち合わせなのに、まさかの8時40分にあきちゃんの家に到着したのだ。予定よりも多く一緒にいられる。幸せな気持ちが大きく膨らむ。
エレベーターを6階で降りて、玄関の前に到着する。あきちゃんは、僕が緊張する間も与えず颯爽とドアを開けた。
── 第8話へ続く ──

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